林精器製造の早期復旧への動きは速かった。一般社員に対し自宅待機を指示する一方、火災の跡が痛々しい14日には役員・幹部社員が集まり復興委員会を立ち上げ「短期間での生産再開をいかに実現するか」を検討した。被災状況などを精査し、現状では最短と思われる5カ月後の8月からの生産再開を目標に復旧計画を策定。幹部は間を入れず顧客への説明に出向いた。
予想どおり「5カ月は待てない。生産再開時の発注は約束できない」など、複数の顧客から厳しい回答が寄せられた。林明博社長は、顧客からの要請を踏まえ熟慮のすえ、6月からの生産再開にスケジュールの2ヶ月前倒しを決断する。「お客に迷惑はかけられない。供給責任を果たし、会社再建には欠かせない受注を確保する」との思いからだ。
現場の早期稼働には新たな工場を確保し、設備を移設するしかないとの判断から、いち早く市内隣接地の遊休工場を借用。被災を免れ使用可能な300台の設備や仕掛品の搬出・移動・据付・調整など一連の作業を社員が自らの手で行った。震災直後で膨大な仕事量を抱え、倒壊した建屋での危険な作業を嫌う、業者を待っていては早期再開に支障をきたすとの判断からだ。移設作業は無休で続けられ20日後に終了した。
「創業以来、先人たちが幾多の困難を乗り越え、守ってきた会社を私たちが音をあげ放棄することはできない」。林社長の信念どおり、6月6日には移転先の横山事業所(須賀川市)で全工程が操業を再開した。
(次回は11月13日(火)に掲載予定)