斎栄織物 斎藤泰行社長
絹織物製造を手がける斎栄織物(川俣町、斎藤泰行社長、024・565・2331)は1952年創業の老舗。生糸の状態で染めた絹糸を織り込む先染め絹織り技術に強みを持つ。生産品もタフタやオーガンディ、和装裏地、工業用資材と幅広い。11年3月11日に発生した東日本大震災では、壁の崩落や生産設備の位置ズレなどの被害があったが、翌12日には計画的避難区域に指定された川俣町の社員を除いてほぼ全社員が出社。「一丸となった復旧活動で、14日には全面稼働にこぎ着けた」(斎藤社長)。
同社が新たな販路開拓と、地場産業の再興を願い取り組んだのが「極細絹糸を使用した世界一薄い絹織物の開発」だ。太さ1・6デニール(髪の毛の約4分の1の太さ)と肉眼では目を凝らさないと見えない超極細の生糸を撚り、14デニールの極細絹糸に仕上げた。その絹糸で織られた製品は「透けて見えるほど薄くて軽く、光沢があり、玉虫色に変化する」(同)。
超極細生糸での先染めは困難を極めた。先染めを施すと強度が低下するため、強度を補う油剤や染め技術の研究に加え、精練工程での強度と光沢を決めるセリシン残量の最適なポイントを探るなど、「いかに切れにくくするか試行錯誤を重ねた」(同)。織機についても回転数を自由に変えられ、切れた際にはストッパーが作動するといった改良を加えた。サンプル品の出荷では製品の密度や混率、物性などのデータ収集で福島県ハイテクプラザの支援を受けた。
苦労を重ね商品化した製品は海外では「フェアリーフェザー(妖精の羽根)」と名付けた。「日本独自の特色ある製品なら値段が高くてもバイヤーは購入する。相手の要請を理解しないと納得のいくものは作れない」(齋藤栄太常務)と、09年からイタリアやフランスで開かれた展示会に出展。大手ブランドバイヤーに製品サンプルを送るなど商談を繰り返し、イタリア大手ブランドの「ジョルジオ アルマーニ」への納品が昨年決まった。さらに今年2月には「第4回ものづくり日本大賞」の内閣総理大臣賞を受賞。今後はPR活動を強化し、一層の顧客の拡大を目指す。
(企業HP:http://saiei-orimono.com/)
【12年3月27日付 日刊工業新聞より】
相馬ブレード(新地町)
三義漆器店 曽根佳弘社長
相馬ブレード(新地町1の15、藤田修氏、0244・62・5445)の主力は航空機エンジンに使うタービン翼、産業用ガスタービン翼、自動車用ターボチャージャー部品の研磨だ。柱の航空機用の研磨精度は1000分の1ミリメートル。従業員は粉塵を防ぐメガネとマスクを付け、緊張した手つきで黙々と磨く。
この金属研磨加工工場は宮城県と福島県沿岸部を縦断する国道6号線沿いの福島県新地町「駒ケ嶺仮設工場」にある。藤田修社長は「金属研磨加工だけで売上高1億5000万円の会社は日本を探してもそうそうない。研磨ではどこの会社にも負けない」と余裕の笑みだ。製品は航空機エンジンを生産するIHI相馬工場(福島県相馬市)などに納入する。
東日本大震災の津波で工場が流された。海から数十メートルの場所にあり、3年半前に約1億円を投じて新設したばかりだった。藤田社長は避難所での生活を続けながら、「従業員の生活再建のためには会社を再開しなければならない」と思い、奔走した。
再建は早かった。2011年5月12日には新地町の協力を得て工場を再建し、操業を始めた。藤田社長は当時を振り返って「頑張る以外に方法がなかった」と話す。11年10月には中小企業基盤整備機構が建設した駒ケ嶺仮設工場団地の事務所に入居し、年末から工場棟で本格操業した。
震災前の従業員数は25人だったが35人に増やした。受注が増えていることもあるが、「地域のおかげで復興できた。雇用を守り、生むのは企業として当然の責務」との思いからだ。
藤田社長は震災前後で経営に対する考え方が大きく変わったという。「これまでは他の会社と同様に業績を上げれば、従業員の生活も良くなると考えていた。だが、これは逆。一人ひとりが豊かになることで、業績面だけでなく会社という組織全体が豊かになる」。
仮設工場でモノづくりを続けているが、「再建費用として4000万円を投じており、仮設とは思っていない」と話す。同時に一日も早い自立を目指す。
当初、5年間で復興する目標を立てていたが、「あと1年半で業績も、会社自体もこれまで以上に良くできる」ときっぱり。新しい、豊かな会社を作るために技術、経営を磨き続けていく。
【12年8月28日付 日刊工業新聞より】